いとしいとしと いうこころ
 


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 『あのあの、中也さんが “これは寸止めだから”って。』

いつぞやにちょっとした捕り物の余波として持ち上がったのが、
マタタビ酒がらみのすったもんだで。(『罪なほどに甘い』 参照)
まだほんの十代の身で、既に他の人の何倍もであろう波乱の生涯、
何人分もの艱難辛苦込みで踏破してきた白の少年が、
そんな中で知り合って、好いたらしいお人として初々しくも慕っていた、
ポートマフィアの幹部という真っ黒くろすけ、
もとえ、中原中也という、それは よく出来た頼もしき御仁との恋仲を、
同性同士ながらもとんとん拍子に進展したのがつい最近。
顔から耳から真っ赤っ赤になって、一応はと報告してくれた爆弾発言には、
こちらも元ポートマフィアの幹部だった太宰が、
だっていうのに度肝を抜かれ、唖然呆然と呆気に取られてから、
ややこしい惚気を聞かせおってと胸中で憤慨したのは記憶に新しい。

 『俺の場合は棚ぼただったしな。』
 『それ、敦くんも言ってた。』

秋も深まりつつあるせいか、陽の落ちるのが少し早まった気がする宵の口。
太宰が何という目当てもなくふらりと立ち寄った、
さびれた路地裏に隠れ家のように佇む小さなバーは、
まだ闇の組織に在籍していた頃から時々足を運んでいた馴染みの店のうちの一つ。
ようよう磨き上げられた年季の入った一枚板のカウンターには、
最近またぞろ馴染み深くなっている、黒い帽子の小柄な紳士をお見かけし。
意地張って無視するほど険突き合ってるわけでなし、
空いてた隣のスツールへ会釈を見せつつ腰を降ろせば、
おうとワイングラスを持ち上げての挨拶が返る。
話し相手もいることだしと、ウィスキーをロックでとオーダーすれば、
チェイサー付きのグラスが供されて。
シックなタンブラーを持ち上げて唇を添わせれば、
ひりりとする芳醇なアルコールが舌先から喉奥へ小気味よく炙ってゆく。

 『珍しいな。真っ直ぐ帰らねぇのか?』
 『うん。』

というか、今宵は“遅番”でしょ?と、遠回しな言い方をすれば、
彼の差す人物の“夜勤”の内容を思い出し、まぁなと苦笑交じりに頷く中也で。
確か今宵は、異能者を抱えて気が大きくなって暴れていた新参組織を
黒蜥蜴を率いて畳みに向かっている彼の青年で。
その子へは、二人ともがそれぞれに後見もどきの立ち位置にあった身、
なので、本来の喧嘩仲が嘘のように吹き払われ、
親身になっての相談なんぞ突き合わせるよな刻もある。
愛しい恋人くんと思わぬイレギュラーな事態から進展してしまった元相棒さんは、
何でも訊きなさいと余裕の横顔を見せていたものの、

 「私はあの子をどうしたいのかなぁ。」
 「何だそりゃあ。」

微妙な戸惑いに時折胸のうちが静かにざわめくようになった。
だがだが、ではどうしたいのかと懐ろに収まる愛しい痩躯を見下ろすと、
自分の頭は一旦停止をし、そのまま空っぽになってしまうのだ。

 「だってさ、あ〜んな痛々しいほど細腰の子に
  大の大人が何をどう出来るというのだよ。」

 「もっと痛々しかった4年前に
  殴る蹴る、銃で撃つところまでしとった奴が今更かよ。」

別に何かせがまれてるわけでもないんだろ?
焦って慣れねぇことしでかすとロクなことにならんぞと、

「気のせいか先輩風がびゅんびゅん来るのだがね。」
「木枯らしよりかはマシだろが。黙って吹かれてろ。」

かっかと笑った中也へ、
いかにも“いやだなぁ”と目許を眇め、口許歪めて見せるものの、
それも長くは続かずに 静かな空間の中へするりと解けて。
長い指を真上からかざしたそのまま、
グラスの縁を上から掴むようにして持ち上げる。

 「……。」

ただの知り合いとか友達以上になりたいと、
あれこれ欲深に望んではいても、
じゃあどうやってにじり寄るかってのはなかなかに踏ん切りも要ること。
たとえ知識はあったって、その身が自然とうずいて欲してたって、
相手のあることだし、無理強いになりゃせぬかと及び腰にだってなる。

 「ましてや、同じ“ヤロー”同士だ。」

そりゃあ素晴らしき人柄に、所謂“キュン”と胸倉掴まれて。
出来る限り一緒に居たいだの、隙あらばキスしたいだの、
他の奴と一緒にいるのが腹立たしくて落ち着かねぇだの、
どう考えたって懸想以外の何物でもない感情を抱えていても。
傷つけないか嫌われないか、何ならいっそ永劫“お友達”で通そうか?
でもって他の奴に掻っ攫われたらどうすんだ? それは絶対に嫌だ、なんて。
年端もいかない青少年レベルで煩悶しもしたほどに。

 その一線とやらを踏み越えるのは
 並々ならない何やかやも要ったりするのだ、本来は。

ちなみに、

『ヤだったか?』

当日当時も口にしたこと。
本来ならば、ちゃんと順を踏んで理解を深めたのちに
触れ合いも深めてって踏み込むという段階へ上りたかったと。
もっと時間をとって、ゆっくりと着実に、
怖がらせぬよう運びたかったのに、と。
それほどに大事にしたかった愛しい子。
だっていうのに、あんな成り行きで、
ある程度まで一気に進展しちゃったこと、
不本意も甚だしかったろうに怖くはなかったかと訊いたらば、

『…ちょっと一杯幸せです。///////』

もうもうと言わせないでくださいよぅと、
真っ赤になった彼からべしべし叩かれたそうな。

 「…ほほぉ。」

途中からでれっでれな惚気になった相棒の言へ、
ああこれがかの有名な“リア充爆発しろ”という感覚かと
冷めきった声で応じを返した太宰だったが、

 そんな幸せそうな人虎ちゃんの助けになればと

おとうと弟子くんが喜ぶんじゃないかなぁと思ってのこと、
こそりと、想い人の転寝なんての、隠し撮りしちゃうほど。
かつての彼からは想像さえ出来ないような、
そういう繊細な機微への察しがよくなっていたなんてね。

 「あれほどポンコツだったのにねぇ。」

カウンターにだされてあったシンプルな灰皿に差しかけられた、
見覚えのある銘柄のタバコがその先から絹糸のような煙を紡いでる。
それを何とはなく眺めつつ、ぼんやりと想いを馳せるは、
今頃、部下らを集めて打ち合わせ中だろう、
自称“マフィアの凶狗”こと、痩躯黒衣の青年のことで。
あの、人もコンクリも鋼鉄建材も瞬殺で薙ぎ払う、
獰猛苛烈な異能による仕置きで裏社会を席巻中の、
ポートマフィアが誇る最強遊撃隊のうら若き長が。
繊細な料理も作れば、知己への気配りも出来るようになっており。
あの麗しの顔容をただただ冷徹に凍らせるだけでなく、
きょとんと眼を見張ったり、ふふと柔らかく頬笑んだり、
見るからにどんどんと成長してゆく青年であり。
それを見守る立ち位置が
かつてそうだった程の近距離に戻った太宰としては、
善哉善哉と長閑に微笑って見せつつも、
その内心で時折途方に暮れてしまうのらしく。

「……そりゃあさ、突つけばいろいろ出て来かねない身じゃああるさ。
 こっちだってまだ枯れてまではないお年頃だし。」

 一時は真っ黒に病んでましたよ。
 冗談抜きに敵を山ほど薙ぎ倒したその血の海の中、
 頭から爪先まで血みどろになっても眉一つ寄せない不感症でしたし。
 凍った頭で小賢しくも形而上学的に現世を見下ろし、
 自己完結してはシニカルに笑って、死出の旅からのお誘いばかり待っていた。
 そっちの方向とは縁を切り、何とか体温だけは取り戻したつもりだが、
 そうともなると、今は今で…

 「生きもので、生ものだものねぇ。」

 見た目そのままの物腰柔らかな紳士なんかじゃありません。
 綺麗で柔らかそうでいい匂いのする女性へ
 お嬢さんっと言い寄ってしまうのも、特に過剰に演技してのものじゃあない。
 気持ちいいこと大好きですし、好きなもの食べて好きな酒飲んで、
 人にちょっかい出して振り回し、腹抱えて笑って。
 刹那的でもいいじゃあないかと、
 人助けの傍らに好き勝手して生きておりますよ。

 「やっとることは昔と変わりねぇもんな。手前わよ

全然の全く、所謂“善人”じゃあないわなと。
雛形通りの存在ではないところ、重々受け止めておいでの、
比較となる“過去”をよく知る素敵帽子さんが歯ぎしりしもって応じたが、

 「ただ。あの子はあんまりにも焦がれた対象だから。」

 4年も見守るだけで通した身だけに、下手に触れたらどうなるかが怖い。
 適度で適当な距離感が掴めない。
 撫でるだけなら、抱きすくめるだけなら出来るのに、
 大人ぶって接吻までならこなせるのにね。

真摯で一途で、真っ直ぐで不器用で。
こちらの言動にあれでいちいち傷ついて来た繊細な子で。
…こらこらそこの人、今 “え?”とか言わなかった?

 「まあな。
  少なくとも、恋心とやら理解できない朴念仁とか、
  惚れた腫れたなぞ下らぬと
  唾棄してばっさり両断するよな死神だとかじゃあねぇみたいだぞ?」

愛し子と呼ばれるにふさわしく、
人を慕うことにも一途で真っ直ぐな、
そんな子なのは中也も承知。
たといその異能でもって中型車を一瞬で輪切りに出来ようと、
今は仲のいい人虎の足をすっぱり切り落としたことがあろうとも。(……。)
人ひとりをずっと想い慕い、その人の言動に胸を傷めては秘かに崩れ落ちるほど、
脆く繊細なところも持ちあわせる、大層健気な人物でもあって。

 「でもなぁ。
  手前の側から踏みださにゃあ、あ奴は今のままで十分ですと、
  何なら何かあればあっさり身を引きかねねぇほど
  充足しとるつもりでいるぞ?」

社畜もどきな組織への忠誠心を、こちらの蹴撃の貴公子様から学んだか、
再会当初はそりゃあ反抗的な敵愾心のこもった貌をし、
憤慨激昂するまま、拘束された太宰へ拳さえ振るった彼だったれど。
その反発も消えた今、
ほのかな淑やかさと謙虚さもて、
傅くのがデフォルトだと、いまだに思っているような
主従関係で満足しておいでの困った想い人。
双方で控えめ、相手へ踏み込めないでいるところまでお揃いとはなと、
いかにかつての厳粛な教育が実を結んでいるかへ、他人事ながらもため息ついて、
嫋やかなグラスに浅く残っていた深紅の果酒、くいと煽った中也であり。

 「いとしいとしと いふこころ、か。」
 「? 何だそりゃ?」

 いとしいとしと いふこころを甲斐性なしなように評したのは、
 他でもない、自分の身の上を言われているよな気がしたからかも。

 「何でもない。」
 「そか?」

まあ、焦ることはねぇだろよ。
あの頃みたいに
今にも飛び立ってくような、足場の定まらない立場でなし。
今すぐどうのこうのしなくとも…と、
いつも見下ろしている気障なお顔が、頼もしい笑みでそんな風に宥めてくれて。
それもそうだねと気のない声を返しつつ、
目の前で少しずつゆっくりと、
その冷えた肌に水滴を滲ませつつあるロックのグラスを
おぼろげな眼差しで見下ろした太宰だった。




     〜 Fine 〜    17.10.02

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 *まとまりのないお話ですいません。
  大切にしたいあまり、
  大胆にもすぐ傍へ寄り添いはしても、ぎゅうと抱きすくめたりは出来ても、
  実は…そこからを踏み込めなくてじりじりしている臆病者な策士殿だったりしてなと。
  ふとそんな風に思っちゃったもんで。
  ウチの太宰さんは人との思い切りのいい関わり方を知らないので、
  その場限りにしたくはない大事な人ほど、心許すのが実はおっかないのかもです。
  敦くんへはお父さんでもいいけど、芥川くんにはそうはいかんでしょうにねぇ。